詩を書いてみました。

 今日は、冬晴れの青空が広がり、寒さは厳しくなっていますが、こころが洗われるような清々しい一日でもあります。

 こんな日は散歩などに出かけて、凛とした風の中で、この空気を味わえる幸せを噛みしめてみるのもいいですね。 

 さて、私は看護師として、がんの患者さんの相談を受ける仕事をしています。

 電話の奥から、その苦しみの現状について訴えられる方もいらっしゃいます。 

 最近は、単身者も多く、特に女性の方は、生活の苦しさに喘いでいるなかに病気のことが加わり、どうしようもない状況を訴えてきます。

 それに加えて孤独、その魂の叫び声にどう応えていけばいいか、言葉を失ってしまいそうなこともあります。

そんな方々のために詩を書いてみました。

 

                   詩「魂の声」

 孤独なのだとあなたが言う。

 その叫び声を聞いていると、私の心も凍えていく。

 絶対的な孤独。この世にはそう言うものがあるのだ。

 誰からも手を差し伸べられず、声を出しても届かない。

 通り過ぎる足の動きだけが、眼の前に映っては消える。  

 その足にすがることすらできなくなってしまった細い腕。

 また、電話が鳴り、それを受ける。その電話の奥にも孤独がある。

 どうしたのだろうか?日本は。どうしてこんなに孤独があふれて

 しまったのだろうか?

 繁栄の後の孤独は、ずっと貧しかった頃より厳しい。寂しい。

 貧しい頃は人が集まれば温かい。肩を寄せ合って、

 話をすれば、そこに小さな火が灯った。

 今はどうだろうか?何がいけないのか。

 孤独なのだと また、あなたが言う。

 私は、その声を聞き続ける。

 

 日本は、どこかで、一人ひとりの生き方に、注意を払わねばならなかったのではないかと思うことがあります。

 彼女たちの20代は、自由であることを謳歌していたのでしょう。どんな生き方をしても自由で、人生の選択肢もいくつもあったように思います。

一人で生きても自由。誰にも干渉されたくない。それは確かに自由で幸せなことだったと思います。

 しかし、自由の代償は、あまりにも寂しいものがあるようにも思います。

 

 自然治癒力と免疫について

 

 今日は成人の日ですね。いつもこの時期になると、急に冷え込んだり、雪や雨が降ったりしますよね。関東地方は元日に晴れることが多いので、わずか10日くらいの間に急激に冬が深まった(冬が深まったって表現、あまり聞きませんが変ですか?)ような気がして、元日の出来事が遠い昔のことのようにも感じられます。

 話は変わるのですが、私は看護師なので、皆様にお役に立つような情報を提供したいと思っています。

 そのような私が看護に携わっていて最も重要なことは何かと問われれば、それは自然治癒力を高めるということだと思っています。

 勿論、病気や事故などの救急の場合は医療にかかるということが第一選択だと思いますし、それ以外でも体調の悪い時は医療のお世話になることは多くありまして、私なども病気になった時は、これほど有難いものは無いと思っています。

 そんな私ですが、自然治癒力に興味を持ったのは、私が学位(看護ではない学位.看護学位はがんをテーマにしたもので取得)を取った時のことが影響しています。

 私の学位論文は「人間の自然治癒力に関する一考察」と言うようなテーマでした。

 そこで私は、人間にとって自然治癒力ほど大切なものはないのではないかと思い始めました。自然治癒力というと、何もしないことですかと言う方もいます。しかし、そうではなく、自然治癒力のことを理解して、それを意識的に高めていくことが大切ではないかと思っています。 自然治癒力は医学では免疫学ということになるのでしょうか?免疫学と言ってもなかなか複雑で分かりにくい分野であると思います。

 免疫とはある意味、身体を守るために存在する細胞の種類(白血球)のことをいうのだと思います。

 細胞には様々な種類があり、それぞれが活躍する場が異なっています。

 それは、人体の発生の時に由来していて、ある細胞は器官を形成するもの。また、別の細胞は流動的に存在して、外敵や、内部に現れたがんのような、近い将来、宿主に悪影響を及ぼすとされる細胞を退治します。

 この流動的に身体各所に存在している細胞の殆どが白血球と呼ばれるいくつかのタイプに分かれている細胞で、それが免疫に関係しているのだと思います。

 最近は、これら細胞の分野の研究が飛躍的に拡大して来ています。

 この細胞に関する分野を突き詰めていくと、結局、人間とは何なのだろうかというところまで行きつくのだと思います。

 人間とは一体何なのか?

 地球の生物の歴史のなかでは、単細胞生物だけの時代が80%くらいであったと地球の生物の歴史に書かれていました。その当時は、形のない、単細胞生物がうねるように絡み合って存在していたのでしょうか?その時代と、現代はもしかすると、似たような時を共有しているのかも知れませんね。

 それは何故かと言うと、腸内細菌の存在や、血液、特に白血球などが、現在も単細胞生物のままの状態を保っていることからです。つまり、私たちはまだ、単細胞生物として生きている部分を持っているということではないでしょうか。

 今後、医療では、こういった細胞学や、それにともなう遺伝子学がさらに発展し続けていくと思います。そのための診断・治療の分野はより細分化して、さらに複雑になっていくのだと思います。

 

 

初めてブログを書きます。

 昨日の新聞に、高齢者の定義が変わるかも知れないと書かれた記事がありましたね。

 今までは65歳以上ということでしたが、今後、75歳以上を高齢者とするというような意味のものでした。一挙に10歳も上げてしまうのですね。

 65歳から75歳といえば団塊の世代がそのまますっぽりと入ってしまいます。この世代はいつも、時代に都合よく利用されてしまっている様な気も致します。

 老人と思っていた方が、急に壮年期と定義されてしまい、戸惑ってしまう人も多いのではないでしょうか。

 それに年金の問題や、介護保険の問題が背後で大きく影響するのではないかと思うと、私自身はその後に続く世代ですが、老後の不安は尽きないです。

 今後は、出来るだけ、健康寿命を延ばすということが非常に重要になるのではないかと思います。

 健康でいるためには、特に「歩く」ということが大切です。私は看護師をしていますが、心の底から歩くということが重要であると思っています。

 先日、介護の必要なご高齢者の支援をする機会がありました。その時に、人間は使っていない機能から衰えていくのだということを確信しました。

 それは、歩くことだけではなく、話しをしたり、手を使ったり、笑ったりする機能についても同じです。もし、それらの能力を失いたくないと思われるのなら、意識して使うようにしましょう。

 使わないでいるということは、幼児期から一生懸命に向上させてきたた身体能力を、ここにきてみすみす捨てているようなものだと思った方がいいかも知れません。

 人間は、生涯、努力が必要なのですね。がんばりましょう (^^)v