新型コロナの風景⑦ 11月17日 閉店ラッシュ

 新型コロナウィルスという言葉も、最近は気にならなくなってきた。以前のように、闇雲に恐怖を感じる感覚が薄くなってきたように思う。果たして、それが良いことか悪いことなのかなんて、もう、考えるのも疲れるから、隣にコロナ感染者が歩いていたとしても、それが日常と思うようになった。

 それよりも、最近の私がとても驚いているのは銀座や有楽町の小さな店舗の閉店のラッシュである。有楽町には私の好きな個人経営のブティックがいくつかあった。10月に久しぶりにショッピングでもと思って出掛けたところ、4店舗中3店舗が「閉店」予定とガラス窓に提示されているではないか。

店員たちが口々に「突然のことで、十分にはお知らせできなかったのですが……」と言葉少なげに答えてくれた。その表情を見ていると、辛いとか、寂しいとかという雰囲気ではなく、自分の感情に浸っている余裕がないんですというように、片付ける事に専念しているようだった。

「辛い」とも「哀しい」とも言わないことが、却って、その辛さを感じさせる要因になった。もう、この店では買えないのかと思うと、私の方が哀しくなって、特に買う予定ではなかったチュニックを2着買うと、店員は最後のお別れを言うように深々と頭を下げて「ありがとうございました」と言った。

私が「あまり、いい客ではなかったかもしれないけど…」と言うと、彼女たちは否定するように手を振った後に、ため息混じりの小さな笑顔を向けてくれた。

 閉店のラッシュは、こうした服飾関連ばかりではない。特に目立つにが飲食店がいつの間にか撤退していることだ。一度も入ったことのないレストランにも「閉店」の文字を所々で目にする。

「ああ、あそこは、いつか入ろうと思っていたオシャレなお店だったのに…」私は首を左右に動かしながら「あそこも、ここも閉店か…」

独り言は言わない方であったが、気がついたら、そんな言葉が口をついて出てしまった。

何故、他の地域よりも銀座や有楽町が先を急ぐように閉店が多いのかと考えてみた。それはきっと他の地域よりも家賃が高いせいではないかと思った。

素敵な街だけに、客が入らなければ負担が大きい。体力がない店ほどできるだけ早く撤退するしかない。

クリスマスや年末に期待していたのかもしれないが、このところのコロナ感染者の急増が、そうした期待を踏みにじってしまったのだろう。

最近、耳にするコロナ関連のニュースは、感染者数が各都道府県「過去最高を記録して…」という言葉ばかりである。

そんな中で「一体、どんな夢が見られるの?」というように忙しそうに片付けをしている店員さんたちの無表情な視線の先には、何が見えているのだろうか

新型コロナの風景⑦ 11月17日

 新型コロナウィルスという言葉も、最近は気にならなくなってきた。以前のような闇雲に恐怖を感じる感覚が薄くなってきたように思う。果たして、それが良いことか悪いことなのかなんて、もう、考えるのも疲れるから、隣にコロナ感染者が歩いていたとしても、それが日常と思うようになった。

 それよりも、最近の私がとても驚いているのは銀座や有楽町の小さな店舗の閉店のラッシュである。有楽町には私の好きな個人経営のブティックがいくつかあった。10月に久しぶりにショッピングでもと思って出掛けたところ、4店中3店舗が「閉店」予定とガラス窓に提示されているではないか。

店員たちが口々に「突然のことで、十分にはお知らせできなかったのですが……」と言葉少なげに答えてくれた。その表情を見ていると、辛いとか、寂しいとかという雰囲気ではなく、自分の感情に浸っている余裕がないんですというように、片付ける事に専念しているようだった。

「辛い」とも「哀しい」とも言わないことが、却って、その辛さを感じさせる要因になった。もう、この店では買えないのかと思うと、私の方が哀しくなって、特に買う予定ではなかったチュニックを2枚買うと、店員の方は最後のお別れを言うように深々と頭を下げて「ありがとうございました」と言った。

私が「あまり、いい客ではなかったかもしれないけど…」と言うと、彼女たちは否定するように手を振った後に、ため息混じりの小さな笑顔を向けてくれた。

 閉店のラッシュは、こうした服飾関係よりも飲食店が多い。一度も入ったことのないレストランにも「閉店」の文字を所々で目にする。

「ああ、あそこは、いつか入ろうと思っていたオシャレな店だったのに…」私は首を左右に動かしながら「あそこも、ここも閉店か…」

あまり、独り言は言わない方であったが、気がついたら、そんな言葉が口をついて出てしまった。

そして自分で言った、その言葉を幾度となく反芻している事に気がついた。

何故、他の地域よりも銀座や有楽町に閉店が多いのかと考えてみた。それはきっと他の地域よりも家賃が高いせいではないかと思った。

素敵な街だけに、客が入らなければ負担が大きい。体力がないとできるだけ早く撤退するしかない。

クリスマスや年末に期待していたのかもしれないが、このところのコロナ感染者の急増が、そうした期待を踏みにじってしまったのだろうか?

最近、耳にするコロナ関連のニュースは、感染者数が各都道府県「過去最高を記録して…」という言葉ばかりである。

そんな中で「一体、どんな夢が見られるの?」というように忙しそうに片付けをしている店員さんたちの無表情な視線の先には、何が見えているのだろうか

新型コロナの風景⑦ 11月17日

 新型コロナウィルスという言葉も、最近は気にならなくなってきた。以前のような闇雲に恐怖を感じる感覚が薄くなってきたように思う。果たして、それが良いことか悪いことなのかなんて、もう、考えるのも疲れるから、隣にコロナ感染者が歩いていたとしても、それが日常と思うようになった。

 それよりも、最近の私がとても驚いているのは銀座や有楽町の小さな店舗の閉店のラッシュである。有楽町には私の好きな個人経営のブティックがいくつかあった。10月に久しぶりにショッピングでもと思って出掛けたところ、4店中3店舗が「閉店」予定とガラス窓に提示されているではないか。

店員たちが口々に「突然のことで、十分にはお知らせできなかったのですが……」と言葉少なげに答えてくれた。その表情を見ていると、辛いとか、寂しいとかという雰囲気ではなく、自分の感情に浸っている余裕がないんですというように、片付ける事に専念しているようだった。

「辛い」とも「哀しい」とも言わないことが、却って、その辛さを感じさせる要因になった。もう、この店では買えないのかと思うと、私の方が哀しくなって、特に買う予定ではなかったチュニックを2枚買うと、店員の方は最後のお別れを言うように深々と頭を下げて「ありがとうございました」と言った。

私が「あまり、いい客ではなかったかもしれないけど…」と言うと、彼女たちは否定するように手を振った後に、ため息混じりの小さな笑顔を向けてくれた。

 閉店のラッシュは、こうした服飾関係よりも飲食店が多い。一度も入ったことのないレストランにも「閉店」の文字を所々で目にする。

「ああ、あそこは、いつか入ろうと思っていたオシャレな店だったのに…」私は首を左右に動かしながら「あそこも、ここも閉店か…」

あまり、独り言は言わない方であったが、気がついたら、そんな言葉が口をついて出てしまった。

そして自分で言った、その言葉を幾度となく反芻している事に気がついた。

何故、他の地域よりも銀座や有楽町に閉店が多いのかと考えてみた。それはきっと他の地域よりも家賃が高いせいではないかと思った。

素敵な街だけに、客が入らなければ負担が大きい。体力がないとできるだけ早く撤退するしかない。

クリスマスや年末に期待していたのかもしれないが、このところのコロナ感染者の急増が、そうした期待を踏みにじってしまったのだろうか?

最近、耳にするコロナ関連のニュースは、感染者数が各都道府県「過去最高を記録して…」という言葉ばかりである。

そんな中で「一体、どんな夢が見られるの?」というように忙しそうに片付けをしている店員さんたちの無表情な視線の先には、何が見えているのだろうか

新型コロナウィルスの風景 8月3日 東京⑥

 前回の記録から2ヶ月半が経過した。本当にこの間の出来事は大きく変わってしまった。6月の下旬には東京でのコロナ感染者数が激減し、世界的にも稀有な事例として、多くの海外メディアも日本の自粛によるコロナ対策について驚きと賞賛の声が各地で上がっていた。それから様子を見ながら非常事態宣言が解除された。

 しかし、その賞賛は風に吹き飛ばされていったかのように、わずか1ケ月余りの間にコロナウィイルス感染者の数は右肩上がりになり、最近では東京だけで連日400人の感染者数を超えている。その数値の増え方にも驚いたが、それに増して何よりも私を驚かせたがのが、若者たちの喜びに満ちた表情である。

 コロナウィルスの感染者数の棒グラフが上昇すればする程、東京の街の若者たちの歓声の声が高くなっていっているように感じる。それはまるで、花火が高く打ち上げられたのを喜んでいるかのような姿に見える。

飲食店や電車の中。街を歩く若者から中高年の人々。時には老人まで楽しそうに歩いている人を見かける。もちろん、全ての人がそうであると言い切れるものではないが、自粛していた頃の人々の表情と比較すると、かなりの変化が見られていると感じる。

 特に若者たちは、自由を勝ち取ったように騒いでいる。

だから、今、東京の街はとても賑やかで華やかな雰囲気に包まれている。

 テレビでは、どうしたらいいかという不安の声が聞こえるてくるが、そんな声には耳も貸さない人々が、街を謳歌している。もう、1ヶ月先のことがまるで分からなくなっている東京の街に立った時、青い空を背景にスカイツリーが顔を出していた。東京は8月1日に梅雨明け宣言がされた。今年は長い梅雨だった。ようやく開けたのだなと思った。

 

 

新型コロナウィルスの風景 8月3日 東京⑥

 前回の記録が5月10日となっている。それから2ヶ月半が経過した。本当にこの間の出来事は大きく変わってしまった。6月の下旬には東京でのコロナ感染者数が激減し、世界的にも稀有な事例として、多くの海外メディアも日本の自粛によるコロナ対策について驚きと賞賛の声が各地で上がっていた。それから様子を見ながら非常事態宣言が解除された。

 しかし、その賞賛は風に吹き飛ばされていったかのように、わずか1ケ月余りの間にコロナウィイルス感染者の数は右肩上がりになり、最近では東京だけで連日400人の感染者数を超えている。その数値の増え方にも驚いたが、それに増して何よりも私を驚かせたがのが、若者たちの喜びに満ちた表情である。

 コロナウィルスの感染者数の棒グラフが上昇すればする程、東京の街の若者たちの歓声の声が高くなっていっているように感じる。それはまるで、花火が高く打ち上げられたのを喜んでいるかのような姿に見える。

飲食店や電車の中。街を歩く若者から中高年の人々。時には老人まで楽しそうに歩いている人を見かける。もちろん、全ての人がそうであると言い切れるものではないが、自粛していた頃の人々の表情と比較すると、かなりの変化が見られていると感じる。

 特に若者たちは、自由を勝ち取ったような顔になっている。

だから、今、東京の街はとても賑やかで華やかな雰囲気に包まれている。

テレビでは、どうしたらいいかという不安の声が聞こえるてくるが、そんな声には耳も貸さない人々が、今後、増えていくのだろうか?

 

 

新型コロナウィルスの風景 東京⑤

 オリンピックの中止が決まったのは確か3月24日だったと思う。日に日に、新型コロナウィルスの感染者が増加していく恐怖に国民が襲われている中で、その日までは、日本政府とオリンピック委員会だけが、どうしようかと議論していたように思えた。

 本当にそんな話をしていたのかと、今となれば不思議な気がする。誰もが命に関係した感染症の不安が胸の奥で疼いているのに、気持ちだけは不透明なオリンピックという華やかな祭典の事ばかりが論じられて、砂を噛んだまま、飴玉を口に入れてしまったような違和感がずっと続いていた。

 さすがに、今はオリンピックのことを本気で語る人は、あまり見られなくなった。オリンピックは来年に延期になったのだから、まだ夢をみていてもいいのだけれど、その話は今はお預けだ。

 多くの人々は、マスコミや政府の言葉を聞き流しているように見える。信じられるのは自分だけだなのか。social distanceも3密を避けることも、知識さえ頂けば、自分の判断でやっていける。誰かに言われたからではなく自分の意思でだ。

 日本人は、あまり言葉を多く言わないが、物事の先行きを見計らって、今後を予測する知恵が民族的に備わっているのだと思う。無意識のうちに、今、必要な環境を自ら作り出している。

新型コロナウィルスが世界を激しく蝕んでいる以上、日本だけが甘い夢を見ているわけにはいかない。それでも、スポーツ関連のテレビ番組などでは、来年のオリンピックに向けてという言葉が頻回に聞こえてくる。そんな言葉を聞いていると、つい「まだ夢を見れるのですか?」と、少し夢心地になる。

 今、GW明けになり、感染者数が減少してきた。ここ数日は東京の1日の感染者は50人以下と報告されている。それは嬉しいことだ。何となく街にも人の姿が多くなってきた。心のどこかで危険かもと思いながらも、道ゆく人々を見ていると、日本人特有の無表情の顔つきをしているビジネスマンが多いが、足元だけはしっかりと前を確かめながら、着実に歩こうとしている東京人の動きを発見した。

 

新型コロナの風景・東京④(2020年4月17日)

 最近、カミュの「ペスト」という小説の人気が急上昇しているというニュースを聞いた。YouTubeでその内容を確認してみた。勿論、小説で読んだのではないから、正確にストーリーを掴んだわけではない。しかし、その小説の書き出しから胸がざわついた。 主人公は一匹のネズミの死骸を見たことから不吉な予感を持った。そして、それが現実のものとなり、日常の中の恐怖へと繋がっていく展開である。

 100年も前の小説であるがペストに寄せる恐怖と、現代の新型コロナウィルスの恐怖が酷似していてリアルだ。感染症における人々の反応や心理は、過去も現在も変わらない。

 日本の感染者数は、いよいよ1万人を超えた。僅か9日間で倍になった。最近はその数の恐ろしさを感じることは感じるが、自身の感覚が麻痺してきたのか数字に慣れてしまい心があまり揺すぶられない。毎日、毎日、更新される感染者数に「そうか」と思うだけである。

 驚かなければいけないところで驚けないでいる。足がすくんでしまっているようだ。本当はどこかに逃げたい気持ちが湧いている。しかし、どこに逃げればいいのか?

 この地球上にいる限り、このウィルスから誰も逃げられないと思う。

 新型コロナウィルスが現れてから、これまで言われていた道徳が消えたような気がする。例えば、人との絆が大切だとか思いやりだとか、そういった美化されていた事柄が否定されるようになった。勿論、それは、あくまでも物理的な意味なのだが、そうすることが命を守ることになっている。

 他人と2メートル以上を近づいてはいけない。話をしてはいけない。握手をしてはいけない。抱き合ってはいけない。

 これらは人間がこれまでに積み上げてきた文化なのだ。それが次々と壊されていく。あれほど感動した歌も、スポーツの躍動も、華やかな舞踊も、今は皆、色褪せて見える。

 どうか、いつの日か、これらの人間が作り出した文化が、また元のように鮮やかな色彩を見せて輝き、表舞台に戻ってくる日が訪れることを願っている。