新型コロナの風景No.15 コロナ禍の五輪 愛のない結婚

 今日も、ブログを書こうという意欲が出ました。書かないでいると、気力が湧かないけど、書き始めると、脳が書きたがるようです。こういったことはやはり、習慣というか癖にしないといけないようですね。

 東京オリンピックまで、今日で丁度2ヶ月後に迫りました。ここまで来ると、もう、何が何でもやるのだという勢いを感じます。新型コロナ何てもう、どうでもいいから、実行することだけに力を注ぎたいという政府の気持ちが伝わってきます。

 この勢いを、何かに例えようとすると、私は愛のない結婚に似ていないかなと思うのです。親が決めた結婚。当人たちはなかなか気持ちが乗らないのですが、周りの人間が結婚のための準備をしてしまうという感じでしょうか。

 心は盛り上がらないが、結婚が迫ってきている。ある意味、二人は恐怖さえ感じるようになっている。特に女性は、いつ逃げ出そうかと身構えている。しかし、逃げることはそう簡単ではない。親族の強制力もあるし、第一、親が許さないでしょう。

 どうしようか、どうしようかと思っているうちに結婚式になってしまう。

例え、演技でもいいから式だけは立派にやろうかと考えて、少し憂鬱になるあの気分…。

 オリンピックが、こんなに盛り上がらない大きな理由は、街がとっても静かだということ。パレードもなければ、祝いの飾り付けが殆ど見当たらない。お酒を交わして陽気に彷徨く人もいない。

 それもそのはず、新型コロナ感染を防ぐために騒いではいけない。店は営業してはいけない。人が集まってはいけない。「オリンピックが楽しみ」なんていう発言は口が裂けても言ってはいけない

 本来ならば、街は大騒ぎで、お酒を飲む人や歌を歌ったり踊ったり、そうした人で溢れていたはずなのに…。

 大きなイベントが行われる時の楽しさは、その予兆にあるのだと思う。それが今は全部削がれてしまっている。

 しかし、それ以上に、国民の心の負担になっているのは、このことによって感染が広がってしまわないだろうかという不安で、国民は常に緊張している状況になっている。