新型コロナの風景東京 No.12 1月7日 二極化する新型コロナに対する思考 品川駅で

昨日の仕事は午後7時に終了した。おそらく電車が一番混雑している時間帯なので、少し避ける目的で8時近くに品川駅にたどり着いた。

流石に、緊急事態宣言が出される前夜、品川駅の人の流れは普段よりだいぶ少なくなっているなと思い日本人の真面目さに感心していた。その矢先である。ふと品川駅構内にある「タミルズ」を見て驚いた。そこは別世界だった。大勢の人々が笑顔で食事をしている姿が目に飛び込んできた。空席があるのだろうかと覗きこもうとすると、ガラス越しから外を見ながら食事をしている人々と目が合ってしまい、それ以上見ることが出来なかった。

店舗外の人の少なさから比較すると、そこは完全な蜜で人々でごった返していた。本当に楽しそうに歓談している人の姿も見えた。どうやらお酒も入っているのではないだろうか。ある意味楽園…。

その時、私は、ああ、こういう考え方の人もいるのだなと思った。医療崩壊が叫ばれていて、全国の感染者数が6,000人を超えた今でも人生を楽しむことに躊躇しない、というよりも、これが彼らの新型コロナに対する考え方なのだろうと思った。

皆が同じ方向を向いているということではない。100人寄れば100通りの考えがある。政府がどんなに声高に叫んでも、マスコミがどんなに批判しても、やりたいようにやる自分主義。私は思った。新型コロナウィルス対策に対する考え方が二極化している証拠なのだと。足並みは揃っていない。

トランプ大統領が以前、新型コロナ問題に対して自分は戦時下の大統領なのだと発言したことがあった。もし、これが戦時下であるなら兵士は医療従事者になるのか。

ますます、孤独な戦いになっている医療従事者。いつ終わるのか見えない戦争。この戦争を支援するはずの国民が、いつの間にか背後に迫ってきている。

新型コロナの風景No.11  さよならイトシアの鮮や一夜飲食店 2021 1月3日

穏やかな三が日が続いている。テレビさえ付けなければ、平穏な日常のなかにいるような気がする。そうした中でも新型コロナは着々と感染者数を増加させている。12月31日には東京都の感染者数が一気に1300人を超えてしまった。

でも、窓の外から差し込む日の光は本当に和らかい。

テレビ番組はお笑いか昔のテレビドラマか、あるいは、街を歩くだけの取材形式のものばかりだ。何も笑えない。昔なら正月のテレビ番組は威厳ある作家や評論家などの有識者が、その年を思う話がされてそれを厳かな気持ちで聞いていた。そうした方々の話は印象的で本当に今年一年をしっかりと乗り切っていかなければという強い気持ちになれた。

しかし、そういった方々の姿が見えない。彼らはどこへ行ってしまったのだろうか?

そうか、今の世の中に有識者や作家と呼べる先見の明を持っている人はもういないのかもしれない。今、存在する人々はお笑い芸人か、オタクか、世の中を批判する人々か?

そんなテレビを見ていると厳かな気持ちではなく、歯を食いしばって耐えるしかないのかも知れないという気持ちになる。

そういえば、年末に寂しさを感じた。仕事がある日のランチに利用させていただいていた有楽町のイトシアにある「鮮夜一夜」のお店が閉店すると聞いた。ここは、個室でとても贅沢な感じで一人ランチが食べられるお気に入りの店だった。

聞いた時、私は思わず店員さんに「本当に閉店になってしまうのですか?」と食いついた。

店員さんは、無表情で「そうです」とサクサクと閉店の準備をしているように感じた。

私は、その時、「ああ、ここもまた無表情…」なんだなと思った。

人間、本当に悲しい時は、嘆いたり悲しい顔をするよりも無表情…」になるのかも知れない。

しかし、去っていく店ばかりではない。よくみると、新しく開店する店もある。これからの店は一人で楽しめる個室タイプの店がいいなあ、と勝手なことを考えているのは私だけなのだろうか?

 

新型コロナの風景⑩ 12月25日 東京 クリスマスケーキ難民

昨日はクリスマスイブ。仕事も休みだったので買い物ついでに雰囲気作りのクリスマスケーキでも買おうかと軽い気持ちで家を出た。

例年なら、街角やお店の前にたくさんのケーキを乗せた台が並んでいるのに今日は見当たらない。おかしいなと思いながら繁華街に向かっていくと、老若男女、大勢の人の流れができていることに気がついた。これはいつもの年の人の流れと同じだと思い、私は何となく、この流れに入るのは危険と感じた。

最近のコロナ新規感染者数が日々、最多記録を更新していることを考えると、隣の人がコロナである確率はかなり高くなってきている。

できるだけ人がいないところにケーキはないものかとあちらこちらを回ってみた。どのお店もクリスマスとは思えない地味な装いがされていることに気づいた。それなら、さすがにデパートに行けばあるだとうと思って入ってみた。それが、洋菓子売り場の前を通ってもケーキと呼べるものは無い。こんなに大勢の人が集まっているのに、皆、困っているのではないかと周囲を見渡した。やはり、何かを探しているように動き回っている人が多い。

やっとケーキを販売しているお店を見つけたら、そこには長い行列ができていた。コロナの3蜜を避けたい私は、慌てて、それは無理でしょうと逃げるように外に出た。

こうなったら、コンビニの安価な「いちごショート」で構わないのではないかとコンビニに飛び込んだ。ところが、普段は300円前後で販売されているはずの2個入りの「いちごショート」が見当たらない。「えっ何で?」と思いながら店の中を見回してしまった。

そういえば、入り口のところで3000円〜4000円くらいの箱入りのケーキを女の子が販売しているのを見た。そうか、こういう日は、やはり、安いショートケーキなんかで済まされたく無いというコンビニ業界の策略か?

私はそんなに大きなケーキを買うつもりがなかったので、ここでも挫折した。

やっと見つけたのは駅地下にあった小さなケーキ屋さん。コンビニで普段、2個で300円前後の価格で売られているものと似たケーキにトナカイの飾りがちょこんと付いていた。それが1個500円近い値段になっていた。それを必要数購入すると、慌ててそこから離れた。それでもクリスマスケーキが買えたことで安堵な気持ちになって、心が少し温かくなっていくのが分かった。

家に着いて、テレビを付けるとニュースのアナウンサーの声が聞こえてきた。

「クリスマスケーキ難民は…」という話題だった。

クリスマスケーキの販売が今年は極端に少なかったらしい。そんなことは知らないまま右往左往する人々がいたという報道だった。

私はまさに、クリスマスケーキ難民の一人だったことをそのとき知った。

新型コロナの風景⑧ 12月22日 東京 銀座 サイレントクリスマス 医療崩壊

新型コロナの嵐は治るどころか、吹き荒れるようになってきた。その嵐が見えないだけにいつもと変わらない銀座の風景の中で人混みに紛れて歩いていると、もうすぐクリスマスということを忘れていたことに気が付いた。いつもの年なら、あちらこちらでクリスマスソングが聞こえてくるのだが今年は控えめである。

それに変わってイルミネーションが美しく彩られている。サイレントクリスマス。寒い中でその光を見ていると、子供の頃に山の頂上で静かにミルキーウエイを眺めた時の気持ちに近いもを感じた。

 街を歩いている人々の服装も何となく地味に感じる。今まであまり意識したことがなかったけれど、バブル期を知っている自分からしたら、いつの間にか若者がオシャレをしなくなってしまったと感じ思わず考えてしまった。

ピアスをする人も少なくなっている。昔だったら、ピアスくらい付けていないとオシャレセンスのない人と思われるような気がした。だから無理につけることもあった。だけど、今の若者はそういった流行や人目に左右されない。身の丈にあったオシャレをする。というよりも、そういうことに価値を見出せなくなったという方が正しいのかも知れない。オシャレの価値観も急速に変わっている。特に女性の靴には、大きな変化があった。以前なら、銀座にスニーカーを履いてくる人は殆ど見かけなかった。

殆どの女性はパンプスが一般的でつま先立てて、腰高にしてあるくことが普通のことだったと思う。

 テレビをつければ医療崩壊のことが大々的に挙げられている。医療は最後のセイフティネット。医療が崩壊したら他の疾患にかかっても受診できないで命の危機に晒されてしまうかもしれないという恐怖。だから皆さん、絶対に外には出ないでくださいと訴えかける。

 医療を守るために億という人の動きを一斉に止めること。しかし、実際、そうしたことの後に起こる悲惨。

 豊かな時代からずっと続いていた最高水準の医療。それはとても素晴らしいことである。それをどこまで続けていくのかということになるのだろうか。

新型コロナの風景⑧ 11月23日 東京 銀座 駆け込みGoToキャンペーン

 ここ数日のコロナウィルス感染者数が急増している。当初の予測よりもそのスピードは速い。東京などは1日の感染者数500人越えが3日も続いた。こんな状況になれば、きっと人々は外を出歩かなくなるだろうと私は予測した。

ところが、テレビを賑わしていた感染者の増加など、どこ吹く風というように街には人が溢れていた。金曜の夜7時ごろに私は仕事を終えて銀座に出た途端、人の波に揉まれた。やれやれと思いながら品川駅についた時は歩くこともままならないくらいの人でごった返していた。

人混みに紛れながら、周囲を歩く人の顔を見てみると幸せそうな笑顔があちらことらに溢れている。こんなにコロナウィルス感染者が増えてしまったのだから、きっと街ゆく人々は不安な気持ちでいるだろうと思っていた。ところがそれは逆だった。人が集まれば集まるほど大きな声が聞こえている。もう、話がしたくて仕方がなかったというように、特に若い人たちは、とにかく騒ぎたい気持ちで一杯のようだった。

久しぶりの出会いに話が盛り上がり、コロナのことなど忘れてしまうのだろう。また、言葉には不思議な魔力がある。話している間は、不安を取り除いてくれる。思考が変わるのだろう。言葉で世界が一瞬に変わってしまう力だ。その言葉の魔力によって一瞬だけでも、人々の不安は払拭されて今が天国のように思えるのかも知れない。それとも、不安はあるが「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的な乗りなのか?

勿論、その両方があるのだろう。しかし、それ以上に、こんなに感染者が増えたことでGoToキャンペーンが終了してしまうのではないかと駆け込みで繰り出している人も多いのだろう。こんなカラっ騒ぎも、もしかしたら今だけ……?だったらできるだけ体験できる楽しみを使い切って騒ごうよという損得の気持ちが働いているのか?

GoToを全く利用しなかった私にはその気持ちを想像することが難しいが、私の友人などは積極的に利用して楽しんでいるようだった。もし、GoToが終わりになるという話を聞いたら彼女も急いで駆け込むに違いない。

そんなことを考えながら群衆の顔を伺うと「もう、何でもいいから、元の暮らしに戻してよ」という思いが滲み出ていた。